小石川 鎮守の杜

徳川家ゆかり「傳通院」の護法神

澤蔵司稲荷

浄土宗 慈眼院

澤蔵司稲荷 縁起

慈眼院

徳川家ゆかり「傳通院」の護法神

元和六年(一六二〇年)
傳通院中興廓山上人により
澤蔵司稲荷が建立され
傳通院山内慈眼院を別当寺として
その境内に祀られました

開創以来、傳通院ならびに
地元の鎮守のみならず
江戸時代から板橋、練馬方面の
農業を営む方々、日本橋、神田方面の
商家の方々のご信仰が篤く
現在に至っております

元和4戌午年に入門した澤蔵司は、大変秀才で僅か3年余りで浄土宗を修得。方丈廓山和尚と学寮長極山和尚の夢枕に立ち「私は太田道潅公が江戸城築城の折り、勧請された稲荷神であるが、浄土宗の奥義を学ぶという大願は達成できた。これより神に戻り当山を守護し皆の願いを叶えたいと思うので、早く一社を建てて欲しい。」と残し暁の雲に隠れたと記されています。

霊屈「お穴」
まさに霊場に相応しい雰囲気が漂う石段下には、朱塗りの鳥居に囲まれ祠(ほこら)があります。江戸名所図会「無量山境内大絵図」にも描かれている「鎮守の杜」に相応しい樹齢数百年の樹木は、澤蔵司稲荷境内の建物の一部と共に戦時中の空襲による延焼を免れ、隣接する善光寺や住宅には燃え移りませんでした。

澤蔵司が傳通院で修行中、傳通院の門前に蕎麦を商う店が有り、よく蕎麦を食べに行っておられました。主人も亦よくその徳を慕いて常に供養していたとされ、澤蔵司稲荷尊として祀られてからは、江戸中期~令和(現代)に至るまで、今尚、社前へお蕎麦の奉納が続いています。

稲荷蕎麦「萬盛」について

日本昔ばなしの題材にもなった「萬盛」(たくぞうすいなり)

境内

江戸名所図会「無量山境内大絵図」に描かれている石垣は、石組み本体の石材を当時のまま
再利用し、平成十八年五月に往時の石垣の姿として再現されています。
また、松尾芭蕉・滝澤公雄・杉崎月香翁の句碑も、この地に残る「小石川」「礫川」を
詠み込んだ句として地元の人々から親しまれています。

一しぐれ 礫や降って 小石川

松尾芭蕉翁(1644年~1694年10月12日没)が延宝5年(1677年)、俳諧宗匠として立机(プロの俳諧師になる)した34歳の時の作品。この頃から4年間ほどは神田上水の工事にも従事したとされ、この地には馴染みの深い俳人の一人である。
この句は本郷 壱岐坂(東京ドーム東側の坂)の中程に有った芭蕉翁と同郷(伊賀上野)の戸田権太夫亭(邸)から小石川澤蔵司稲荷方面を詠んだ句で、澤蔵司稲荷では江戸時代から句会が開催されており、その「芭蕉堂」同人 滝澤公雄翁が発起人となり大正7年10月12日の芭蕉翁の命日に澤蔵司稲荷境内に建立されました。

小石川浄苑

墓所案内

交通至便の都心にありながら、鎮守の杜に囲まれる
慈眼院「澤蔵司稲荷」に隣接している墓所です
現在、ご案内できる空き区画がございます

過去の宗旨・宗派不問

入檀に際して過去の宗旨・宗派は問いませんが、葬祭供養一切をお任せいただく代わりに、檀家に入っていただきます。(入檀に際してのお布施や寄付、入檀料は必要としてはおりません)敷地面積は331平方メートル、総区画数は169区画。苑内はバリアフリー設計にて車椅子でのお墓参りが可能で、専用駐車場や会席場、水場、手桶置場、トイレを備えています。ご不明な点・ご心配な点などありましたら、どうぞお気軽にお問い合わせくださいませ。



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